2006年05月27日
第74話 アダンの実
沖縄の海岸、特に砂浜に行くと良く見られる植物で、一見パイナップルのような実をつけますが、食べられません。正確には食べられないことは無いようですが、味気ないそうです。「アダン」と呼ばれるこの植物は海風に強く砂地でもタコの足のような根を張って育っていくので「タコノキ」とも言います。防砂林、防潮林として人為的に植えられたものもありますが自生しているものが多いようです。
また、石垣では実ではなく新芽をアク抜きして食べるようです。筍みたいな食感らしいんですが、私は食べたことありません・・・。
アダンの葉は沖縄の生活に無くてはならないものでした。アダンの葉で編まれた「アダン草履」や、帽子、煙草入れなど身の回りのものに利用されていました。ただし、アダンの葉はトゲが多く、利用するにはこのトゲを取り除くなど手間がかかるので、いまではお土産品に使われる程度です。
綺麗な花が咲くわけでもなく、実も美味しくないので表舞台に出ることはありませんが、戦後の物不足の時代を救った植物なので紹介しました。
2006年05月26日
第73話 傘はいらないさ~
沖縄は全国に先駆けて梅雨がやってきます。さすがにこの時期は一日中快晴とはいかず朝から降ったりやんだりが続きます。しかし、こんな梅雨の時期にもウチナーンチュは傘を持っていない人が多いんです。特に、中高生は濡れたまま登下校をする姿が目立ちます。
だって、持っててもジャマじゃないっすか。どうせ15分も降れば上がるっすよ。気温も30度近いから風邪をひくような心配もないっす。すずしくって楽しいくらいっすよ。ほっときゃすぐ乾くっすよ。
ところが土砂降りでも濡れたままの学生がいるぞ。まあ、土砂降りのように横殴りの強い雨の場合、傘なんか役に立たないといえばそうなんだが・・・
そういえばテレビで、雨にぬれたまま歩いている3人の女子高生に「傘は無いんですか?」ってレポーターが質問したら、2人は持っていなくて1人は持ってたんっす。でも、その1人の子は「友達が濡れているから、面倒くさいし別にささなくてもいいかなとおもった」そうっす。
持ってても傘をささないんだよな・・・たしかに、私も傘が車に積んであるのに出すのが面倒くさくて「濡れてもいいか!」という気持ちになる事あるなあ。あ、でも日傘は必要なんじゃないか?
暑い日中に、日傘を差して出かけるほどウチナーンチュは仕事馬鹿じゃないっすよ!日差しの強い時間は建物の中で涼んで、外に出るのは夕方涼しくなってからっす。だから、日傘も含め沖縄人の大半は傘を必要としないっす。
2006年05月18日
第72話 ミスターコーラー
沖縄では「コーラ」とは言いません。「こーらー」です。ちょっと昔、沖縄でドルが使われていた時代、「ミスターコーラー」と言う飲み物がありました。当時、コカコーラーやペプシコーラーが10セントでしたがミスターコーラーは5セントでした。沖縄産のコーラーは普通に冷やして飲むもよし、泡盛のコーラー割りで飲むもよし!!
コーラで割るんっすか?水割りじゃなく?!逆に飲みにくそうっす。
最近の泡盛は臭みも少なくて飲みやすくなったが、復帰前後は臭かったそうだ。そのままでは飲みにくくて色々工夫をしたらしい。その中でもコーラー割りはポピュラーな方法だった。
他にも割り方があるんっすか?
最近では、ウーロン割、うっちん割り、変わったところではブラックコーヒー割りがあるな。ブラックコーヒー割りは結構飲みやすいぞ。ちなみにコーヒーにブランデーを入れて飲むと寝付きやすい。
ミスターコーラーの話題が泡盛の飲み方うんちくになったっす。他にも飲み方があったらコメント欲しいっす。
2006年05月18日
感謝 7000突破
店長は取材に行ったっす。7000突破にかなりプレッシャーを感じているみたいっす。皆さん本当に有難うございますっす。これからも、なつかしいちょっと昔話や、エッ?と思うようなオキナワンカルチャーをご紹介したいと思いますっす。
今後ともよろしくお願いいたしますっす。
Posted by 幸作 at
19:09
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2006年05月15日
第71話 戦後復帰を迎えた頃は
戦後復帰を迎えた頃は
みんな同じ夢を見た
夢は色々有るほうがいい
夢の数だけ
あり! かんぱい!
BIGINの『オジイ自慢のオリオンビール』の歌詞です。5月15日は沖縄が日本に復帰した日です。復帰の年に生まれた子供達もいつの間にか親になりました。小さい頃オジイやオバアから聞かされた戦争の話、戦後復興の話、苦しい話、楽しかった話。戦争を知らずに生まれた私たちにできることはオジイやオバアの話を子供達に伝えていくことだと思います。このブログが少しでも役に立つといいなあ。
大丈夫っすよ店長!ウチナーンチュはオジイやオバアが大好きっすから。僕もオジイやオバアから聞かされた話は覚えてるっす。店長の話も楽しいっすよ。(ちょっと軽いけど)
・・・なんか聞こえたけど、まあいいか。「夢はいろいろ有る方がいい」平和でなければいえない言葉だな。さあ、夢をもっていこう!
2006年05月11日
第70話 与那原テック
記憶がおぼろげなんですが、「与那原テック」という遊園地があったことをご紹介したいと思います。当時、遊園地と呼ばれるものがなかった沖縄にジェットコースター、観覧車、メリーゴーラウンド、お化け屋敷などなど、夢のような楽しい場所だった・・・・・・に違いありません。
・・・違いありませんって、どういうことっすか?店長は楽しくなかったんすか?
いや・・・実はどのアトラクションよりも記憶に残っている乗り物が有って、それ以外はあまり覚えてないんだ。とっても怖かった。
怖い乗り物?どんな?
山すそを登るリフトだ。リフトと言っても確か一人乗りのロープウェイで、風を受けるとかなり揺れた。子供心に落ちる恐怖と戦っていて、かなりのトラウマになってしまった。
1人という事は実際なかったかもしれないが、今でも「一人ぼっちでロープウエイに乗る夢」をみて恐怖することがある。
とんだ、遊園地の思い出っすね・・・恐るべし与那原テックっす!
2006年05月08日
第69話 バスケと米軍放送
沖縄はスポーツが盛んっす。野球やゴルフ、ボクシング、スキューバダイビングなどなど。実は沖縄は全国一と言っていいほどバスケが強い県なんっす。興南高校が全国制覇を連覇した記憶に新しいっす。
その1つの原因と考えられるのがアメリカ統治時代から放送されているFEN米軍放送のテレビです。基地には多くのアメリカ軍人とその家族が住んでいます。その人々に向けて放送されているチャンネルで本国アメリカで流行っているドラマやスポーツなどを放送しています。時々軍服を着たアナウンサーらしき人がニュースを読み上げます。もちろん英語で。
一部受信できない地域もありますが、大きな基地を抱える普天間、嘉手納周辺の市町村は基地の外にある一般住宅のテレビでも受信できます。日本語字幕は当然ありません。
沖縄は本土でNBAが流行るよりもずっと以前に、ほぼリアルタイムでNBAの試合を見ることができたっす。そのせいか普天間、嘉手納周辺の学校のバスケットはNBAの影響を大きく受けたっす。全国大会でも沖縄のバスケはリズムが独特らしいっす。
同じころの日本ではバスケの試合は実際に会場に行かなければ見れなかったわけですから、家庭のテレビでNBAの試合を見ることができたという、その差は大きなものだったと思います。そして、2006年。バスケに新しい風が吹いています。
「沖縄にプロバスケを!」運動が高まっているっす。このブログの管理人「幸作」さんも張り切って応援しているっす。皆さんも応援して欲しいっす。
2006年05月07日
第68話 那覇ハーリー
5月のゴールデンウィークといえば、那覇ハーリーです。沖縄風の手漕ぎ船でレースを行います。今ではお馴染みですが、廃藩置県で禁止されていた時期がありました。復帰後の1975年に復活しました。復活当時は参加者が少なく大変苦労したそうですが、現在では中学生や消防署、自衛隊、青年会、職場代表などたくさんのレース参加者が楽しませてくれます。
那覇のハーリーは糸満ハーレーなど他の地域と違い10人乗り程度のサバニ漁船ではなく、大型の爬竜舟(はりゅうせん)を使うっす。1隻に42名乗り込むっす。那覇ハーリーの最終日には、緑・黒・黄の3隻の爬竜舟が港の中を往復する「御願(ウガン)バーリー」が行われるっす。ゆったりと、歌と音楽を奏でながら海の安全を願うっす。
緑色は「那覇」、黄色は「久米」、黒色は「泊」とされていて、「那覇」は日本、「久米」は中国、「泊」は沖縄を象徴すると言われているそうです。ここにも唐・薩摩・琉球の時代の名残が見て取れます。
今年はアルベルト城間さんのステージがあったっす。夜は打ち上げ花火もあがるっす。出店もたくさん出ていて夏祭りみたいで楽しいっすよ!
那覇ハーリーが終わると沖縄は梅雨入りの時期です。そして、糸満ハーレーのドラの音が鳴ると梅雨が明けると言われています。
2006年05月03日
第67話 ウチナータイム
あれ?店長、今日は7:00から飲み会だったんじゃないっすか?もう7:00まわったっすよ!?
おお!そうか!じゃ、そろそろシャワーでも浴びて準備しよう・・・・・・。
これが沖縄名物「ウチナータイム」っす。とにかく時間にルーズっす。約束の時間に間に合わせるどころか、その時間まで準備すらしません。30分遅れるのは当たり前。1時間遅刻しても「ごめん、寝てた」ですませてしまうのがすごいっす。周囲も「ああ、そうね~」と気にもしないっす。まあ、おおらかと言うか何と言うか・・・
飲み会だけならまだしも、路線バスが15分遅れたりとか30分遅れたりとかもあるっす。ルーズにも程があるっす。それでもウチナーンチュは「仕方ないさ~道が混んでるのに~」と納得しちゃうっす。
よし!準備完了。じゃあ、行ってくるからな!
はい!いってらっしゃい!
・・・本当の集合時間は8:00っすけど、店長には7:00と言っておいたっす。きっと時間通りについて、飲み会には一番乗りになると思うっす。
2006年05月02日
感謝 6000突破
毎度、毎度有難うございます。最近はコメントもたくさん付いて嬉しいです。
5000突破から、半月で6000になるとは思ってなかったっす!いままでのペースでいくと秋口かとおもってたっす。ほんと!びっくりした~
皆さんからのネタ提供もあり、私の知らなかった沖縄のちょっと昔話を勉強することもできています。まだまだ紹介することはたくさんありますので、これからも、よろしくお願いします。
Posted by 幸作 at
18:53
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2006年05月01日
第66話 海の上を走る国道58号線
本土復帰の58号線ネタをもう1つ。
本島のゴッパチをずんずん北上していくと奥地区の起点にたどりつきます。が、ここに石碑が有ります。よくみると58号線が海を渡り鹿児島まで続いていることが分かります。国道58号線の本当の起点は、鹿児島市です。そこから、種子島、奄美大島を経て、奥に上陸し、那覇市明治橋まで続きます。全長800kmのうち7割が海の上を通っています。地図上は海上を通っていますが、実際に海の上に道路が有るわけではないのであしからず。
ウチナーンチュもこの事実をあまり知りません。政府もなんで、こんなややこしいことをしたのでしょうか?ひょっとして海上道路を作るつもりだったのでは・・・そんな壮大なロマンがあったかどうかは知りませんが・・・。