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昔話ではありませんが、沖縄がアメリカ統治時代から本土復帰にかけて起こったことを 『沖縄ちょっと昔話』 として紹介したいと思います。日本復帰前に沖縄に生まれ、関西にも住んだことのある私が経験した、カルチャーショック的なお話を紹介します。

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Posted by TI-DA at

2006年08月31日

第91話 宮古ソバとカレー粉




沖縄ソバと一口に言っても地域によって色々と特徴があり、食べ方も色々です。宮古のソバの食べ方はちょっと変わっています。


普通の食堂のテーブルにはお好みで味付けができるように「七味唐辛子」や「コーレーグース(唐辛子の泡盛付け)」「島マース(ミネラルたっぷりの沖縄の塩)」が置かれているっす。そして、宮古でしか見られない「カレー粉」があるっす。宮古そばに入れて食べると病みつきになるっす!




わたしは食べたことがないので初チャレンジしてきました。

ご覧の通り、おいしそうな宮古ソバです。その横の小皿にはカレー粉が盛られています。普通はカレー粉の小さな缶のままで出るらしいのですが、このお店では小皿に出してくれました。

まず、カレー粉無しで半分ほど頂きました。細めの麺にダシが絡まりとても美味しかったです。そして、いよいよカレー粉の投入です。「カレーうどんのようになるのかな?」などと想像して食べました。

こ・・・これは・・・夏のソバだ!カレーの味にダシの味が負けていません。お互いの美味さを引き出してあっという間に「完食!」食欲のない夏場でも汗をかきながら食べられます。おもわず「ズミっ!(うまい!の宮古方言)」とうなってしまいました。

カレーうどんと違うのはとろみがないので、食感があっさりしていること。そして、麺だけでなく、ソーキ肉の味もカレー粉に負けずにさらに美味しくなっている点でしょう。


ちなみに、同じ宮古でも場所によっては知らない人もいるっす。平良地域では知っている人が多いみたいっすね。伊良部の人は知らないみたいっす。
まだ、試したことの無い方は「MYカレー粉」を用意してソバ屋に行ってみるっす!




  


Posted by 幸作 at 20:00Comments(7)ちょっと昔話

2006年08月17日

第90話 輝く甲子園




高校野球のシーズンになると県民は総出で地元沖縄のチームの応援をします。他府県でももちろん地元チームの応援をするでしょうが、沖縄はちょっと熱の入り方が違うとおもいます。


そうっすね、試合の時間帯には電話は鳴らなくなるし、道路を走る車も姿を消すっす。一度、うっかり試合の時間帯にお客さんに電話をかけたら「仕事しないで応援しないか!」って、電話の向こうから怒られたっす。


そんな時間に電話をかけるほうが悪い!それでもウチナーンチュか!
今年は八重山商工が離島からのチームとして、おおいに頑張ってくれました。残念ながら力及ばずでしたが、爽やかなプレーが印象的でした。


負けたチームが甲子園の土をもって帰るシーンは、当たり前の光景のようっすけど、復帰以前にはもって帰ることができなかったんっすよね?!


1958年(昭和33年)の第40回記念大会の出来事だな。当時はアメリカ統治時代で、初出場の首里高校が、負けて土を持ち帰ろうとしました。しかし、本土の土を沖縄に持ち込むことは植物検疫法に引っかかってしまい、那覇港で廃棄させられてしまいました。




とても、可愛そうな話っす。でも、後日談があるっす。このニュースが新聞等で報じられた後、日航のスチュワーデスさんたちが「甲子園の石」を送ってくれたっす。この石は現在の首里高校に「友愛の碑」として野球場のかたちに埋め込まれているっす。


野球場を別名「ダイヤモンド」といいますね。この贈られた石はただの石ころですが宝石のダイヤモンド以上の輝きをもっているのではないでしょうか。



プロジェクトX 挑戦者たち 翼よ、よみがえれ 海のかなたの甲子園~熱血教師たち・   


Posted by 幸作 at 23:40Comments(4)ちょっと昔話

2006年08月15日

第89話 8月15日




8月15日は終戦の日です。以前、慰霊の日で戦争について振り返る重要性を書きましたが、慰霊の日にくらべて、8月15日は沖縄では他人事だと感じています。


夏休み真っ只中っすからねぇ。みんな、戦争のことは忘れてるっすよ。沖縄の場合、お盆も旧暦っすから、ご先祖さまに対する気持ちも若干薄くなってるんじゃないっすかね?


そうだな・・・。しかし、それは改めんといかんぞ。沖縄は地上戦や艦砲射撃の「鉄の暴風雨」を経験したが、内地では「特攻隊」をはじめ見知らぬ戦地で若い命を「御国のため」に捨てて、帰らぬ人となったんだ。他人事のように忘れてはいけないんだぞ。


店長もたまにはいいこと言うっすね。ウチナーンチュも被害者の立場ばかり主張してはいけないっすね。戦争で亡くなったのはウチナーンチュだけじゃないっす。戦争は絶対反対っす!



  


Posted by 幸作 at 23:45Comments(0)ちょっと昔話

2006年08月10日

第88話 ウルトラ怪獣はウチナーンチュ?




わりと有名な話ですが、ウルトラマンの生みの親の1人である金城哲夫氏はウチナーンチュです。ですから怪獣にも時々ウチナーグチの名前を持つものがいます。

代表的なのが写真の「チブル星人」。頭のことをチブルと方言で言います。頭ばかり大きい宇宙人なのでチブル星人・・・そのまんまです。


  


Posted by 幸作 at 05:00Comments(2)ちょっと昔話

2006年08月07日

第87話 エイサー道じゅねー




店長!どこからか太鼓の音が聞こえてきたっす!エイサーがどこかでやってるっすよ!!!
あっ!踊る準備してるっす。


お盆になると、通りのあちこちでエイサー隊がやってきてエイサーを披露してくれます。もともとは沖縄市や北谷、読谷、勝連など中部のエイサーが有名なのですが、「全島エイサー祭り」や「一万人のエイサー踊り隊」など、イベントが多くなったためか今では浦添や那覇でも見られるようになりました。


え?エイサーって那覇ではやらないんっすか?てっきり大昔からやってると思ったっす。


那覇や豊見城は旗頭(はたがしら)の方が歴史的に古いようだ。那覇の大綱引きのときは旗頭が先導するだろう?浦添は獅子舞が歴史的だな。お盆にエイサーが当たり前のように踊られているのは中部の青年隊が積極的に活動していたお陰で沖縄中に広まったんだ。


青年会ってすごいっすね~。みんな、日ごろは普通にお仕事や学校に通っている人たちっす。お金をもらって踊っているわけではなく、ボランティアっす。熱心なエイサー隊は仕事休んでも練習にくるっていうっすよ!


ボランティアといっても「募金箱」みたいのはあって、心ばかりのお金を募っています。楽器の保管や移動の車代、マイクやスピーカー、照明器具など色々お金のかかる事が多いようで、募金で黒字が出ることは無いでしょうが・・・・


皆さんもエイサー隊が来て踊ってくれたら、気持ちだけでも寄付してあげてくださいっす。

  

 
  


Posted by 幸作 at 22:42Comments(6)ちょっと昔話